2012年3月31日土曜日

木蓮の花まで散歩          古川ぼたる

東京の開花予想は明日
三月三十一日
日本橋からおおよそ北東へ四十キロ
離れたこの辺りは
もう少し遅れるだろう
それにしてもこの
南風のすごいこと
なにもかも吹っ飛んで
丸裸になりそうだよ

そんな強風が夜通し吹いて
昨日よりもっと激しく
玄関を叩いているから
外に出て見れば
いつも行儀よく並んでいる
へら鮒釣りも今朝はいない
いつも浮き寝している
鴨の群れも今朝は見えない
逆流してくる
白波ばかりが忙しく珍しく
立っては消え立っては消え
消えては立つ
白波の古利根川

消えてしまった鴨はしかし
消えてしまった訳ではない
消えてしまった川鵜はしかし
消えてしまったのではなく
土手に上がってしばし
この大風から非難しているだけなのだ
その証拠に
この猛威のなかでも
何を最も恐れなくてはならないか
何から身を守るべきかわかっているから
この騒々しい大風のなかでも
ちゃんと
人間である私の
何かを察知して
番いの大鷭が
白波の中に
見事に着水
白く鼻筋を引いた
二匹の大鷭は
人間である私の何を察知したのか
人間である私には察知できない
人間である私はただ妄想するだけ
危険を妄想し
その妄想に怯え
たくさんのものを構想し
構築してきた人間という世界

鉄塔から鉄塔へ張り巡らされた
送電線が鳴っている
その上空にある
薄黒いたくさんの雲が流れ
重い雲を押し流す力が
音を立てて急いでいる

吹き飛ばされて倒れた自転車と
鮮やかな黄色の花を咲かせた
見事なミモザの木が
この世界から一刻も早く
逃げ出したいかのように
身悶えしている

でもしかし
この世界から一刻も早く逃げ出したいなんて
ミモザも
もっと大揺れのクスノキもメタセコイアも
シュロもケヤキも
白い木肌のユーカリも
そんなことは思いやしない
そんな風に妄想しているのは
いま生きている人間だけ
私だけ
私という表現に過ぎない

その証拠にはならないが
今通り過ぎてきた霊園では
卒塔婆がガタガタガタガタ鳴って
こんな日でも
山吹色の袈裟を着た坊さんと
喪服を着た親族が納骨していた
なんとありがたいことに
自分では始末のしようがないことを
儀式が始末してくれる
儀式のありがたさ
なんでも始末してしまう儀式の怖さ

こんな日でも
黄泉の使いである大烏は
こんな大風に
真っ黒な羽を遊ばせている
羽ばかりか
目玉まで真っ黒な大烏は
駐車禁止の看板から
不法投棄禁止の看板へと
大風に逆らうように
人間の決めごとを笑うように
しばしホバリングし
楽しんでいる

東京の開花予想は今日
三月三十一日だけど
ここの蕾はまだ青く
青い蕾から
初々しさが少しだけ見えている
たぶんこの南からの熱で
ここの桜ももうすぐ開花するだろう
水仙はもう花盛りだし
梅は花吹雪となって風に舞っている

そして
白木蓮の花はもう咲いている
純白の
小さな壺のような花が
強風になぶられている

少し早すぎた純白
というわけではなく
白の木蓮は毎年
大風のなかで咲いている
大風の夜風に吹かれて
小さな壺のような
白い花弁の重なりは
その縁が傷んで
悲しい色をしている
取り返しのつかないことになってしまって
途方にくれた色をしている


木蓮の純白返済不能也

木蓮の花弁の縁の余熱かな

2012年3月26日月曜日

卵分け 霞を喰いて 春日あり   三千魚 が書き込みました。

2012年3月25日日曜日

春の雨          古川ぼたる

詩を読むと
書かれた詩の
意味することはわからないけれども
作者の口調が
浸み込んできて
同調し
目の前の風景を
言葉にしている

俳句を読めば
読んだ俳句の
短歌を読めば
読んだ短歌の
意味はわからない
理解できない
難解、深淵な
詩、高級典雅な哲学が何処かに隠されている
俳句や短歌やさっき読んだ詩の
作者が誰だってかまわない
さっき読んだ口調に乗って
あたりのものが
すぐに浸み込んでくる
食器を洗う時のスポンジ
体を洗う時のタオル
口調が浸み込んできて
同調してしまう
弦の無いギター
膜の無い太鼓

ひと月前までは
北風に吹かれて
狂ったように身を揺さぶっていた
枯れススキも
今朝の春の雨を
浸み込ませている
霧のような細かな雨が
降り注ぎ
桜の蕾が膨らんできている
あと一週間もすれば
この雨を浸み込ませた蕾も
姿を変える
今はまだたくさんの蕾

たくさんの蕾よりも
もっとたくさんの雨の滴が
桜の木の梢にも
水仙の葉っぱにも
銀色の滴が
耀いている

無数の半球体
自足し
じっとしているように見えるけど
本当は
ほんの小さな衝撃に
壊れてしまう
無数
あたりの景色を
何でも受け入れ
映している
無数
無数の
水で出来たレンズ

近づいてみると
わが鼻息にも
走り去る車の
振動にも
何にでも同調し
同調し過ぎて
身を震わせ
こらえ切れずに
桜の梢から落ち
水仙の葉っぱから落ち
物干し竿から落ち
落ちては
還る
乾ききっていた土に
春の滴が
浸み込む
元の土に還る

還ってきた
水分を汲み上げて
柔らかな羽毛のような
猫柳の花が
咲いている
絶え間なく
今朝の雨が降り注ぎ
柔らかな猫柳の花に
浸み込んでいく
降り注ぐものを
たちまち浸み込ませて
調べを同じくしている
呼吸を同じくしている

亡き母の寝息は斯くや猫柳